石橋と平家落人伝説
院内石橋群
宇佐市院内は日本一の石橋のまちと言われている。
これらの石橋は江戸時代の終わりから昭和のはじめにわたって架けられたそうだ。
大分県は全国で最も石橋が多い地域でありますが、中でもこの宇佐市院内町には75基もの石橋が残されており、うち、アーチ橋(めがね橋)は64基と日本一を誇っています。
この地に石橋が多い理由はいくつかあります。一つは院内町の地形は深い渓谷を形成しており、その流れも急であるため、住民は頑丈で流されない石橋を必要としたこと。二つ目は石橋作りに必要な材質となる石が豊富に採石できたこと。そして三つ目は、生活に必要不可欠な棚田や石垣等を組む技術を持った優れた石工が多かったことです。(宇佐市公式観光サイトより)
NO. | 名称 | 架設年 |
1 | 御沓橋 | 大正14年(1925) |
2 | 鳥居橋 | 大正5年(1916) |
3 | 一の橋 | 明治26年(1893) |
4 | 打上橋 | 文久3年(1863) |
5 | 橋詰水路橋 | 文政13(1830)-慶応3(1867) |
6 | 経座橋 | 明治初期 |
7 | 経座橋 | 昭和25(1950) |
8 | 西光寺橋 | 江戸末期 |
9 | 分寺橋 | 大正初期 |
10 | 両合川橋 | 大正14年(1925) |
道の駅いんない
朝5時に家を出発し、7時くらいに道の駅いんないに到着。ここを起点に石橋を巡る。
道の駅いんないのすぐ近くにあるのが御沓(みくつ)橋3連の、院内最長の石橋
次に行ったのは、鳥居橋。5連の、ほっそりした足下駄が特徴的その姿から、石橋の貴婦人と呼ばれる美しい橋橋のたもとでは桜が満開
一の橋は、ずいぶんと山間に入って来た。山神社の参道に架かる単連の橋
打上(うちあがり)橋は文久3年架設の院内で最も古い。単連のアーチ橋の下には昭和初期に水路橋が架設されている
橋詰水路橋は、石造単アーチ道路橋兼水路橋だ。江戸末期に道路橋として造られ明治になって水路橋が付加されたと言われる。
川の向こうに水路橋と説明の看板が見えているが行き方が分からない。
道の駅いんないに戻って休憩。ゆずソフトを食べる。
これはおいしい
車道の脇の遊歩道に入る。落ち葉の」敷き詰められた遊歩道を歩いて行くと、久地(きゅうち)橋がある。長さ7m、幅約40cm、厚さ約60cmの大きな桁石を2本並べ、その上に平らに加工した板石を16枚並べた重厚な桁橋。
龍岩寺
龍岩寺は、天平18年(746)行基によって開山したといわれています。県内唯一の鎌倉時代の木造建築物・奥の院礼堂と白木の三尊像は共に国の重要文化財です。(宇佐市公式観光サイトより)
いんない石橋マップのお勧めコースによると次の順番は石橋ではなく龍岩寺というお寺だ。
受付で200円払って長い階段を登って行く。すると前方に岩壁があり、その岩壁に穴が刳り貫かれている。
穴を抜けると、前方の上の岩壁に奥の院の建物がある。
このような建物は修験道の寺社では見たことがある。 英彦山の大南神社や、国東半島の文珠寺や両子寺の奥の院などだ。
岩壁に張り出した回廊を渡って奥に院の建物に到着。引き戸を開けて中に入ると祭壇がありその背後の格子の仕切りの奥に三体の仏像が安置されている。
次の経座橋に行こうと思ったが、龍岩寺の隣の家の塀に、平家七人塚と書いた大きな横断幕が張られている。その横断幕を見ていると軽トラックに乗った老年の男性が声を掛けて来た。平家七人塚に行くのなら自分も用があって行くので案内すると言う。どうせ行くつもりだったので着いて行った。
そこで聞いた話は驚くべきものだった。
平家七人塚の横断幕のあった家だ。この辺りは大門、月俣と言う地域だ。壇之浦の戦いで敗れた平家の残党は全国に散って隠れ住んだ。宮崎の五家荘や徳島の祖谷はとくに有名だが、院内の大門、月俣の平家の落人が隠れ住んだ場所だと言う。
そしてこの人物は、門脇正夫さんと言い、平清盛の弟の門脇中納言教盛の子孫だと言う。教盛の母は藤原の家隆の娘なので、藤原氏の子孫でもある。この場所に逃れて来た教盛は七人塚と言う経塚(お経を収めた塚)を建てた。そして門脇さんが、2018年に、平清盛900年の碑を建てたそうだ。
偶然で不思議な出会いだった。
龍岩寺の下に経座橋と言う小さな石橋がある。川向こうの字「経座」にちなんで名づけられた橋。野面積みの側面は、家屋敷を囲む石垣にそのままつながり、景色に調和した美しさを鑑賞できます。
平家の里から下って行く途中に西光寺橋がある。ガードレールに標識が立っている。下の田んぼの中に石橋が見えている。どうやって橋まで行くのだろうと下を見ると道路から下りる梯子が立て掛けてある。
山を下って行く。分寺(ぶじ)橋を目指していると左側に大きな橋が見える
ここには広い駐車場がある。
最後の橋は、両合川橋だ。カーナビをセットして出発する。ところがこれがとんでもないことになる。広い道路から左の山の中の細い道に入る。道はどんどん狭くなる。車一台がやっとだ。コンクリートの道路には植林の杉の落ち葉が敷き詰められて路肩が見えない。踏み外したら抜け出せない。右に左にカーブしながらやっと開けた場所に出る。やっと車の通れる道路だ。
両合川橋は左の田んぼの中にある、車を下りて橋に向かう。ここは両合川棚田の谷底になる。すり鉢の底にいる様な感覚だ。橋は単連の小さい橋だ。下を流れる川はかなりの勢いで、しかし澄んだきれいな水だ。
ここから帰るのにさっきの山道を通らないといけないのかと思ったが道を歩いていたおばあちゃんに聞くと、このまま行くと余温泉の出ると教えてくれた。
その通り行くと、普通の道路で簡単に抜け出した。時々カーナビの指示通り行くととんでもない道にはまり込むことがある。
予定の石橋を全て回ることが出来た。
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